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東京地方裁判所 昭和48年(ヨ)2204号 判決 1975年3月28日

申請人

内野昌司

外四名

申請人ら訴訟代理人

岡田啓資

外二名

被申請人

ザ・フライング・タイガー・ライン・インク

日本における代表者

ジョージ・エー・ゼットラー

右訴訟代理人

福井富男

主文

一  本件申請をいずれも却下する。

二  訴訟費用は申請人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(申請の趣旨)

一、申請人らが被申請人に対し労働契約関係上の地位を有することを仮に定める。

二、被申請人は申請人らに対し、昭和四八年一月から本案判決確定に至るまで、毎月五日限り別表賃金欄記載の金員を仮に支払え。

(申請の趣旨に対する答弁)

主文第一項と同旨

第二  当事者の主張

(申請の理由)

一、被申請人は航空貨物運送事業を営む外国会社である。

申請人らは別表雇用年月日欄記載の日に被申請人に雇用され、横田営業所において自動車運転手(以下「運転手」という。)として勤務していた。なお、申請人らはフライング・タイガー航空会社日本支社労働組合(以下「組合」という。)の組合員である。<中略>

(抗弁)

一、解雇

(一) 解雇の意思表示

被申請人は昭和四七年一一月二九日申請人らに対し、同年一二月三一日限り申請人らを解雇する旨の意思表示をした。

横田営業所の就業規則(但し、昭和四四年一月一日発効のものである。)第七条第一項は、「下記のいずれかの場合には、従業員は少なくとも三〇日の事前通知により、(中略)解雇されることがある。」と規定し、同項のCには、「会社雇用の人員の削減をはかる必要がある場合」との定めがある。本件解雇は就業規則第七条第一項Cに基づいてなされたものである。

(二) 解雇理由

1 横田営業所及び申請人らの業務

(1)被申請人は、米軍(以下「軍」という。)との契約により、軍関係の人員、貨物の輸送業務(以下「軍関係業務」という。)を行なつており、横田営業所は、米国と太平洋地域諸国間における軍関係業務にあたつている自社および他者の飛行機(但し、貨物便と旅客便とがある。なお、以下飛行機について述べるところはいずれも軍関係業務にあたつているそれに関するものであるから、その点は特に明示しない。)の横田基地における発着に関連する業務を担当していた。<後略>

理由

一雇用契約の締結等

当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、申請の理由第一項の事実、申請人らは勤務場所を横田営業所、職種を運転手とするとの約で被申請人に雇用されたこと、申請人らは昭和四七年一二月七日組合に加入したことが認められる。

二解雇の意思表示

抗弁第一項(一)前段の事実は、当事者間に争いない。<証拠>によれば、横田営業所の就業規則(但し、昭和四四年六月青梅労働基準監督署に届け出がなされたもので、その第一八条は、発効日を同年一月一日とする旨定めている。)第七条第一項及び同項Cの規定の内容は被申請人主張のとおりであることが認められる。

三解雇理由

(一)  横田営業所及び申請人らの業務

1  抗弁第一項(二)1(1)の事実は、当事者間に争いない。

2  当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、次の事実が認められる。

横田営業所は、横田基地や羽田空港と立川市内や都内の宿舎との間における自社機乗務員(但し、通常、貨物便の場合は一機あたり三名、旅客便の場合は一機あたり九名であつた。)の輸送のために運転手を雇用していた。したがつて、マイクロバスを運転してこの乗務員輸送にあたることが同営業所の運転手の主たる業務であつた。

同営業所の運転手は、昭和四七年六月から同年一二月当時においては、申請人らだけであつたが、申請人らは三シフトに分かれ、一シフト一、二名で、主として二台のマイクロバスにより乗務員輸送業務に従事していた。もつとも、申請人らはそのほか同営業所従業員(但し、日勤者のみである。)の福生駅・同営業所間の送迎、福生郵便局へ郵便物を取りに行くこと、ガソリンスタンドまで出かけて同営業所のマイクロバス以外の三台の自動車にも給油すること、軍の事務所や航空管制所まで書類を届けたり、受け取りに行くこと、自社機及び他社機が発着するたびに、その乗務員の飛行機・税関間の輸送にあたり、また、税関や入国管理局へ必要書類を届けたり、受け取りに行くこと、乗務員の宿舎へ書類を届けたり、受け取りに行くこと等の仕事もしていた。

なお、同営業所は乗務員輸送業務に大和自動車のタクシーをも利用していた。それは、自社機の発着が必ずしも時間的に平均化しているものではなく、ある特定の時間帯に集中することがあるし、自社機が到着後乗務員を交替して出発するときには、それが一機であつても、到着した乗務員と出発する乗務員の輸送を必要とするので、これらの場合には同営業所の運転手一、二名だけではその乗務員の輸送をまかないきれないこともあること等の事情によるものである。

(二)  横田営業所及び申請人らの業務の減少

当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  被申請人と軍との軍関係業務についての契約は一年(但し、当年七月一日から翌年六月三〇日までである。)ことになされていたところ、被申請人の軍関係業務による営業収入は、昭和四六年ころには既に減少の傾向にあり、同年一月以降昭和四七年六月までの間には一か月二、七五八、〇〇〇ドル程度になり、同年七月からはさらに減少し、同年一二月までの間は一か月二、二九七、〇〇〇ドル程度になり、特に同月は一、二一五、〇〇〇ドル程度にまでなつた。また、横田営業所が取り扱つた自社機及び他社機の便数も昭和四六年ころには徐々に減少しており、同年一月から昭和四七年六月までの間は一か月二三九便(但し、自社機は九五便である。)程度であり、同年七月からはさらに減少し、同年一二月までの間は一か月一七七便(但し、自社機は七六便である。)程度になつた。特に、同年一〇月、一一月には一か月一六一便(但し、自社機は七一便である。)程度になり、同年一二月になると一か月九五便(但し、自社機は四三便である。)にまでなつた。そのため、同営業所の業務は全体的に著しく減少し、申請人らの主たる業務である乗務員輸送業務も自社機の便数が右のとおり減少したのにともなつて大幅に減少するに至つた。同月の場合についてみれば、自社機の便数は一日一、二便程度になつていたので、申請人らの勤務シフト中に発着自社機が一機もなく、したがつて、申請人らがその勤務シフト中乗務員輸送業務につくこともないという状態すら生じていたのである。

2  被申請人の軍関係業務はもちろんのこと横田営業所が取り扱う自社機及び他社機の便数、したがつてまた乗務員輸送業務が回復する見込みはなかつた。このことは次のような事実からしても明らかである。すなわち、昭和四八年度以降における被申請人と軍との軍関係業務についての契約金額は前年度までのそれよりさらに減少し、したがつて被申請人の軍関係業務による営業収入も一層減少していたし、また、同営業所が昭和四八年一月以降取り扱つた自社機及び他社機の便数も同様であつて、同年一〇月までの間は一か月五四便(但し、自社機は四〇便である。)程度にしか過ぎなかつたのである。

3  被申請人は、自社機の便数が右のように減少したことから、乗務員輸送業務には大和自動車のタクシー等商業輸送機関を必要の都度手配すれば十分であり、その方が申請人らを引き続き雇用して乗務員輸送業務に従事させるより経済的であるとの考えから、申請人らを解雇して人員削減をはかり、乗務員輸送業務には大和自動車のタクシーとJATSの自動車を利用することにした。そして、その結果は次のとおりであつた。すなわち、昭和四七年六月から同年一二月までの乗務員輸送業務に要した経費は、申請人らの人件費(申請人らの同年当時における賃金―但し、基本給のほか家族手当等の手当、ボーナス、被申請人の負担にかかる社会保険料を含む。―をいい、月額にして五一八、三九五円である。)、マイクロバスの燃料費、大和自動車のタクシー料金等で、一か月約九〇二、〇〇〇円であつた。ところが、大和自動車のタクシーとJATSの自動車による昭和四八年一月から同年九月までの乗務員輸送業務に要した経費(乗務員輸送業務のために両社に支払つたタクシー料金、自動車料金である。)は一か月約四五三、〇〇〇円であり、申請人らの一か月の人件費をも下回つていた。そうすると、被申請人が申請人らを引き続き雇用して、同年一月以降も乗務員輸送業務に従事させたとすれば、申請人らだけで乗務員輸送業務をすべて行なつたとしても、人件費のほかマイクロバスの燃料費、償却費、税金等を必要とするのであるから、これに比べれば大和自動車のタクシー等商業輸送機関を利用する方がはるかに経済的である。

4  被申請人は、横田営業所の前述のような業務の減少にともない、申請人ら運転手だけにとどまらず同営業所の人員を全体的に削減してきた。すなわち、昭和四六年から昭和四七年までの間に退職者の不補充、配転等により約二〇名、昭和四八年三月三一日には任意退職者募集により一三名、同年六月から同年一〇月までの間に退職者の不補充により六名、同月一日に羽田営業所への配転により九名を削減した。その結果、同年一一月当時までには、横田営業所の人員はマネージャー一名のほか運航及び通信関係八名、整備関係一一名、総務関係一名の計二一名に縮少された。

5  横田基地に事業所を設けて軍関係業務を行なつていた他社においても、その業務の減少により、同基地の事業所につきその閉鎖や人員整理がなされていた。例えば、シーボード・ワールド・エアラインズ等四航空会社は昭和四八年七月までに同基地の事業所を閉鎖した。また、エアー・アメリカ・エアラインズは同基地事業所において昭和四六年一月当時アメリカ人従業員三〇名、日本人従業員一一三名を雇用していたが、昭和四八年五月までの間に人員整理等によりその人員をアメリカ人従業員八名、日本人従業員四九名に縮少していたし、エアリフト・インターナショナル・エアラインズは同基地の事業所において同年四月までアメリカ人従業員約三〇名、日本人従業員一二名を雇用していたが、同月以降同基地における飛行機の運航を取りやめ、アメリカ人従業員二名により事業所閉鎖の作業を行なつている。なお、同基地において発着する軍関係業務にあたつている各社の飛行機(旅客便)にサービスを提供しているジャパン・リージョナル・エクスチェンジは、同基地の事業所の従業員を昭和四七年三月に八七名から二五名に縮少し、昭和四八年七月にはさらに三名を削減しようとしている。

同基地自体についてみると、昭和四六年当時には日本人従業員二二九九名が雇用されていたが、昭和四七年一二月までの間にその人員は二〇九七名に縮少された。

右認定の1ないし3によれば、被申請人の軍関係業務はもとより横田営業所が取り扱つた自社機及び他社機の便数も減少し、そのため、同営業所の業務も申請大らの主たる業務である乗務員輸送業務も著しく減少した。けれども、被申請人の軍関係業務や同営業所が取り扱う自社機及び他社機の便数が回復する見込みはなく、したがつて、同営業所の業務や申請人らの主たる業務である乗務員輸送業務が回復する見通しもなかつた。そして、大和自動車のタクシー等商業輸送機関による昭和四八年一月から九月までの乗務員輸送業務に要した経費をみると、申請人らの人件費よりも下回つており、申請請人らを同年一月以降も引き続き雇用して乗務員輸送業務に従事させるより、大和自動車のタクシー等商業輸送機関を利用する方がはるかに経済的であつた。これでは申請人らを運転手として雇用しておく意味がない。そして、このことに右認定の4及び5を考慮すれば、被申請人には同営業所について申請人ら運転手の人員削減をはかる必要があつたものと認められる。<証拠>(組合からの本件解雇に関する苦情処理の要請書)には、「横田部門の縮少はニクソン政府の政治的、政策上の内因による諸般の情勢でやむを得ない事情は類推される」との記載があるが、被申請人に右のような人員削減の必要があつたことは、この記載からも窺われるところである。

なお、申請人らはもともと乗務員輸送業務のために被申請人に雇用され、乗務員輸送にあたることがその主たる業務であつたのであるから、申請人らが前認定のとおり乗務員輸送業務以外みの若干の仕事にもついていたとしても、このことは右の認定に何ら影響を与えるものではない。また、申請人らは、被申請人の企業全体としての営業実績とか軍関係業務についての営業実績等について主張するが、被申請人の右の営業実績がどうであるかということは、右認定を左右する材料とはならない。

(三)  本件解雇の効力

申請人らは勤務場所を横田営業所、職種を運転手とするとの約で被申請人に雇用さわていたのであり、被申請人には同営業所について申請人ら運転手の人員削減をはかる必要があつたのであるから、本来申請人らは就業規則第七条第一項Cにより解雇されても致し方ない面がある。

また、当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  被申請人と組合との間で昭和四七年三月一〇日に締結された労働協約第八条に基づく本件解雇に関する苦情処理委員会は、組合の申入れにより、同年一二月一九日に開かれた。その際、被申請人は次のような形で申請人らの羽田営業所への配転(正確にいえば、雇用契約の変更申入れである。)を提案した。その内容は、(1)同営業所の運転手の職種に空席があれば配転に応ずるかどうか、(2)同営業所へ運転手として配転になる場合には、同営業所の先任権(セニョリティー)の低い運転手が解雇されることになるが、それでもよいかどうか、(3)同営業所の運転手以外の職種に空席があれば、その職種への配転に応ずるかどうか、というものであつた。これに対し、組合は右提案には応じられないとの態度を示し、申請人らの代表として出席していた申請人内野も、同営業所へ運転手として配転になれば同営業所の運転手が解雇されることになること、同営業所に配転になつても、従来のように転居費用、交通費等が支給されないのでは、実質的には減収になること、申請人らの生活関係や家族関係等を理由として、同営業所への配転には応じ難い旨回答した。

2  被申請人は昭和四八年一月以降乗務員輸送業務にJATSの自動車を利用することにしたので、この件についてJATSと交渉を持つたが、その際申請人らの再就職について相談を持ちかけた。その結果、JATSは、申請人らに優先的に就職の機会を与える旨約した。そこで、被申請人は昭和四七年一一月二九日本件解雇の意思表示をした際申請人内野を除くその余の申請人らに対しその旨伝え、また同年一二月四日と八日にも申請人らの代表である申請人内野に対しその旨伝え、JATSへの再就職の斡旋をした。しかし、申請人らはJATSの経営内容や労働条件についての不安等を理由に、JATSへは再就職のための何らの連絡もとらなかつた。

3  被申請人は昭和四七年一二月四日申請人らの代表である申請人内野に対し、再就職先を捜すための時間として、二日間の有給の特別休暇を与えるとともに、有給の病気休暇の残日数を右の時間として使用することを認める旨及び同月三一日以前に再就職した場合でも同日までの賃金と同年冬期ボーナス(基本給の三か月分に相当する額のものである。)を全額支給する旨を伝え、また同月八日には、賃金の二週間分に相当する額を特別手当として支給する旨伝えた。そして、被申請人は同月一九日の前記苦情処理委員会において、特別手当を賃金の四週間分に相当する額まで増額する旨提案した。しかし、組合や申請人らの代表である申請人内野は結局この提案を拒否した。なお、申請人三鴨を除くその余の申請人らは同月中に一日ないし二日の特別休暇をとるとともに一日ないし三日の病気休暇を使用した。

被申請人は本件解雇にあたり右認定のような措置を講じていた。申請人らあるいは組合の側からすれば、右認定のような措置、殊に申請人らの羽田営業所への配転、JATSへの再就職の斡旋については、これを受け入れ難いもつともな理由があつたかも知れない。しかし、だからといつて、これにより被申請人が非難されるべきいわれもない。被申請人の側からすれば、右認定の措置は本件解雇にあたつての措置として一応それなりの意義あるものと評価し得るものだからである。

そうだとすれば、本件解雇が権利濫用であるとまでいうことは困難であるから、権利濫用に関する申請人らの主張は採用するに由ない。

四結論

以上のとおり、本件解雇は有効であるから、申請人らと被申請人との雇用契約は昭和四七年一二月三一日限り終了したのである。

よつて、本件申請は、被保全権利の疎明に欠け、保証をもつてこれに代えるのも相当でないと思料されるから、いずれも失当として却下することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎啓一 安達敬 飯塚勝)

<別表省略>

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